常盤坂 (唐内坂)。
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津軽を統一し、津軽藩政の基礎を築いた初代藩主為信は、元亀四年(1573年)袋の宮と呼ばれたこの地域に小さな「祠」を奉建します。
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そこにある坂が弘前城築城後から「唐内坂」と呼ばれていたそうです。
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唐内坂とは中国(唐)にも無いほどの景勝の地という意味。五代藩主信寿と九代藩主寧親がこの地域に別荘を建て、いこいの場として時を過ごしたことからも唐にも無い景勝地だったことがうなずけます。
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文化七年(1810年)八月、九代藩主寧親が「末永く栄えるように」という意味を込めて唐内坂から常盤坂へと改称しました。
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ちなみに菅江真澄は『鳥野(鳥井野)、竜の口などというところも過ぎて、からない坂(カラナヰ、カルナヰであろうか。カルは蝦夷人の畠をいい、ナヰとは沢をいう辞である)の眺望はどうであろうかと…』、『からない坂の岡のあたりにたかだかと清らかな家が作られているのは藩主の別邸であろう。内部の造作などはおおぎょうなほどおごっているという。』などと記しています。
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その後、大正時代に傾斜を緩める改修工事が実施され、藩政時代からの面影を失いつつありますが、付近の人からは現在も「唐無(内)坂」として親しまれています。
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かつて唐内坂には「乗馬したまま上ろうとすると必ず落馬する」という神話がありました。そんな神話を試すべく、為信も馬で通ってみたところやはり落馬したそう。その夜、為信の夢の中に唐内坂の神が現れて、殿様になるようにと告げたとか。
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また、夢の中で「東方に小三郎という者がいるのでその者に我を祭らせよ」と告げられた為信は、大光寺(平川市)から小三郎を見つけ出し、山へと遣わしました。小三郎は山中で光るものを見つけ、それを自分の持っていた袋に入れて祠に祭りました。
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これが袋の宮の神であり、この土地が袋の宮と呼ばれた由来です。これは後に樋ノ口の袋宮寺(現新寺町)に熊野三所権現大神宮の飛龍大権現として祀られることになります。
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あの有名な袋宮寺に辿り着いてしまいましたね…坂って深いですよね(笑)
ちょうど坂の中腹にあるこの建物は祠か!?って思ったら…
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小屋にタイヤのホイールが付いていただけでした。
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話が長くなりそうなので今回はこの辺にしますが、いずれまた常盤坂絡みの記事を書きたいと思います(笑)