くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

東北地方の神社仏閣を中心に、歴史的建造物等々を適当に紹介しております٩(ˊᗜˋ*)و

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秋田県大館市雪沢大滝。鉱山と森林の歴史を伝える小坂鉄道。長木渓流沿い。清風荘向かい(乗り場)。名前が似ていますが『小坂鉄道レールパーク』とは異なりますので注意してください。
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運行期間は4月から11月(火曜日・水曜日定休日。8月は毎日運行。)。運行期間はその年によって違うので、HP等でご確認ください。
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予約はした方がいいです。単線のため、少しでも混んだら結構な時間を待たされることになります。
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私が予約したのは金属車輪のガタンゴトンという音が心地よい2人乗り車両。まず強制的に写真撮影が行われます。もちろん記念写真込みのお値段です。できればスタート地点ではなく途中の鉄橋で撮って欲しいところですが。
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ってことで出発!
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最初に見えてくるのはコマリヤの龍神様。
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コマリヤの龍神様については別記事にしております。
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線路は続くよどこまでも~♪
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東屋と滝が見えました。
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四十八滝です。四十八滝の説明についてはコマリヤの龍神様の記事を参照ください。
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どじょう養殖場の横を通って旧小雪沢駅へ。
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案内板があります。『旧小雪沢駅。ここから小坂側は電化されており、昭和36年廃止まで電気機関車と蒸気機関車の付替えを行っていました。』
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ゆっくり見ようとしても…
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もう一人が一生懸命漕いでいると…
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あっという間に過ぎていきます…チームワークが大切です笑
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農道踏切。
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小雪沢鉄橋(第9号橋梁)。
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長木川を渡ります。
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景色を楽しみながら。
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21.5
気持ちはいいのですが、すぐ横に道路があるのはちょっぴり残念。
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20‰勾配標。1000進んで20上る坂道。
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気笛吹鳴標識があるので自転車のベルを鳴らします。
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着いたのは旧雪沢温泉駅。
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昭和29年、雪沢鉱泉駅として開業。
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昭和46年雪沢温泉駅に改称。平成6年廃止。
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旧雪沢温泉駅から折り返し地点までは残り800m。
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農道踏切。
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高齢者ドライバーによる踏切事故も増えているので、安全確認をしながら進みます。
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あと100m!スピード注意!クマ注意(声を出そう!)!
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自転車のベルを鳴らします。
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折返しが見えてきました。折返し地点ではターンテーブルで車両を反転。
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意外にあっという間。
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復路です。Bicycle~bicycle~bicycle~I want to ride my bicycle~I want to ride my bike♪(歌えないけど)
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雪沢温泉「大雪」…凄いネーミングです。
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さて、同じ道なので、帰りはパンフレットを引用して少しだけ説明を致します。
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小坂鉄道は明治42(1909)年、小坂(鉱山)と大館間・22.3km(廃止時)を結ぶ私鉄として開業、平成21(2009)年にその役目を終え廃止されました。
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小坂鉄道は鉱山鉄道の側面はもとより、大館地域の林業の興隆にも大きな影響を与えました。開業当初から森林鉄道と接続、多くの木材の搬出を行ったことから、大館駅前を中心に何社もの製材所が設立され、新市街地を形成するきっかけになりました。
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また車両の動力も、蒸気→電気→ディーゼルと変遷したユニークな経歴を持つ鉄道でもあり、東洋一と言わしめた小坂鉱山の凄さを垣間みることができます。
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さらに腕木式信号機など、昭和までの鉄道運行システムが多く遺されており、廃止後もほぼ全軌道が残されている希有な廃線でもあります。
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41.5
片道1.8kmを往復(3.6km)走行。乗車時間は体力や混雑具合にもよりますが、おおむね30~40分程度です。
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復路はよりスピードアップしてあっという間でした!
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しかしながらチームワークが悪いと…
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せっかくの滝の写真もこんな感じになります笑
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ゴール!!
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秋田県鹿角郡小坂町十和田湖大川岱。
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十和田湖増殖(漁協)ひめます大川岱販売所近く。
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3.5
西湖畔に佇む和井内神社はヒメマス養魚の始祖和井内貞行と妻カツが祀られている神社です。
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西湖畔遊歩道・和井内神社…『明治38年(1905)に、私財を尽くして十和田湖でのヒメマス養殖を成功させた和井内貞行と妻のカツをまつる。貞行の事業を支えたカツが亡くなった後、湖畔住民がその徳を慕い、明治41年(1908)に勝漁神社(勝漁社)を建立したのが最初。大正11年(1922)に貞行が亡くなると、貞行の御霊も合祀された。昭和8年(1933)に和井内神社に改名。現在の拝殿は昭和52年(1977)に改築されたものである。春の祭日は、カツの命日である5月3日。秋の祭典は、貞行合祀の9月21日。』
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和井内神社の由来(※かなり消えかかっています。間違っているかも知れませんが意味は大体わかるかと。)…『本神社は、和井内貞行翁並にカツ子夫人を祀る。カツ子夫人逝去するや、湖民が生前の業■を偲び、報恩感謝の念、■だし難く敬慕の■まり、互いに資材、資金、労力を■■て祠を建て、夫人の冥福、養魚の豊漁、住民の幸福を祈願し明治41年3月3日、勝漁社と命名、湖畔の鎮守氏神として齊き祀ったのが肇りである。大正11年、和井内貞行翁の逝去と共に、合祀し昭和8年、社名を和井内神社に改め、春秋、祭事を存続して今日に至っている。和井内貞行翁夫妻は、明治17年当時全く魚の生息しない十和田湖に■■■■福祉を悲願し敢然養魚を試み実行した。通説、迷信、罵言、嘲笑、赤貧と■■失敗、試練に不撓不屈■■■■明治12年、明治38年、遂に初志貫徹を貫き■鱒に成功して、今日の十和田湖繁栄の礎石を築いた。更に、十和田湖の景勝を天下に宣伝、あるいは和英両文写真版の案内書及び絵葉書の作成配布、あるいは、東都の新聞記者団を招き、その紙上に或は出版に、また、学識者各方への研究依嘱■、国立公園指定の布石を果し得た功績は偉大である。十和田湖発展の大恩人として、敬慕の灯は遍く、永遠に継がれ消ゆることを知らない。昭和52年12月2日高瀬博撰文、高橋克三監修、高田実謹書』
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手水舎。
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7.5
石灯籠一対(大正9年8月3日)。
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8.5
和井内貞行(1858-1922)は秋田県十和田湖開発の先駆者。南部藩領陸奥国鹿角郡毛馬内村生まれ。明治14年(1881)、工部省小坂鉱山寮に吏員として採用されて小坂鉱山に赴任。鉱山勤務のかたわら十和田湖養魚事業に着手。明治17年(1884)、鹿角郡長小田島由義、十輪田鉱山長・飯岡政徳の許しを得て、初めて鯉600尾を十和田湖に放流。それ以前の十和田湖は魚一匹住まない湖でした。和井内貞行は何度も失敗を繰り返すも辛抱強く研究を続けました。明治26年(1893)10月14日、青森・秋田両県知事より十輪田鉱山の鈴木通貫、宇樽部の三浦泉八との連名で、和井内貞行に対し魚族養殖のため満八ヶ年十和田湖使用許可。明治30年(1897)に十和田湖畔に旅館「観湖楼」を創業。十和田湖養魚事業を進めるべく人工孵化場を作ります。
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明治36年(1903)にヒメマスの稚魚を放流。明治38年(1905)10月に成魚となって回帰したことにより、ヒメマス(カパチェプ(kapacep)鱒・後にヒメマスと命名)の養殖に成功。養魚事業の成功はその後の十和田湖の観光にも大きな影響を与えました。明治39年(1906)和井内貞行「生出」に日露戦争戦捷記念として新しい孵化場を新築。明治40年に養魚事業の功績により緑綬褒章を授けられましたが、長年苦労をともにしてきた妻のカツが病に倒れ、46年の生涯を閉じます。湖畔の人々はカツの温情に感謝して、秋田県鹿角郡小坂町十和田湖大川岱に勝漁神社を建立して御霊を祀りました。大正11年5月16日に和井内貞行も病気にてその生涯を閉じ、湖畔住民その死を悼み、カツと共に勝漁神社に祀られ、後の昭和8年に和井内神社と改称。昭和21年11月20日に神社本庁より承認を受け今日に至っています。
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向拝蟇股。
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木鼻。
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12.5
向拝下神額(願主小笠原三四郎・小笠原光男)。
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向拝下蜂の巣((( ;゚Д゚)))
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蜂はいませんでした。
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十和田湖國立公園指定五十周年記念奉納(昭和61年8月吉日、小坂町俳句会、小坂町老壮大学文芸倶楽部齋藤春雄謹書)。「山湖今水色の刻鳰遊ぶ」万谷、安保伊都子。「冷えるまで湖の朝焼見ていたく」小坂、一戸芦灯。「春蝉や湖畔の径に声落とす」小坂、岩谷勢記。「にほどりの水尾きらきら湖に春」小坂、窪田三千雪。「木々の芽の彩を競ひて湖囲む」小坂、栗山小八郎。「今は亡き友の艪声や夏の湖」小坂、斉藤はるお。「湖拓く翁の神社杉落葉」小坂、佐々木かずお。「湖岸打つ波の髙まり昼蛙」小坂、佐々木よしのぶ。「夏木立写りて湖のいろ濃くす」小坂、佐藤キミ。「姫鱒の稚魚放す湖藍深く」小坂、沢田津内。「昼蛙湖の民宿芥焼く」小坂、清水けん一。「郭公のこだまの湖や神の杉」小坂、杉沢つな。「湖紺碧茂りゆたかに二タ岬」秋田市、杉山宙。「朴咲けり湖には走る魚の影」小坂、鈴木もと。「鉱山男舳先叩きて夏の湖」小坂、関静生。「暮れかかる湖を灯せり蝮草」小坂、故髙橋灯青。「万緑や鏡の如き朝の湖」茨城県、田口操舟。「みづうみに青葉若葉の影深し」小坂、土井口ヱイ。「石楠花や湖となるまで水白し」小坂、故成田キツ。「手を浸し湖の秋身に浸し」小坂、成田ゆたか。「めぐり合ふ二人静に湖の風」小坂、畠山利代。「カルデラ荘昼のお膳にミズと鱒」静岡市、畑沢松恵。「遠郭公湖上に手をふる別れかな」小坂、林幸女。「双岬は大蛇のかたち霞む湖」小坂、船水参夢郎。「万緑を千古の湖が写し容れ」小坂、故森田まさ。「おだまき群れ和井内神社森の中」小坂、横田キク。「茂る中みづうみ護る神のあり」秋田市、湯瀬輝代。「山桜うす紅に湖目覚む」秋田市吉岡健法子。
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本殿。御祭神は事代主命、正七位和井内貞行、和井内カツ子。例祭日10月21日(5月12日)。和井内貞行翁は日夜事代主神を崇敬していたそうです。
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っていうか本殿完全崩壊((( ;゚Д゚)))
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きっと修繕されるはずです。
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行ってませんが拝殿横に道がありました。登山道へ繋がる道かな。白地山登山道(ミソナゲコース)と白地山登山道(大川岱コース)が近くにあります。
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青森県八戸市白銀町三島上。
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JR八戸線の白銀駅の近くで、目の前に線路があります。
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ちょうど電車が通過していきました。
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4.5
社号標(平成元年7月7日)。
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表参道の階段と二之鳥居。
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狛犬一対(昭和5年旧6月7日)。
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7.5
手水舎。
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手水鉢。
8.5
手水舎横に福徳ふくろう(平成21年12月吉日・三嶋神社総代会)。
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苦労(クロウ)を水で流して福(フク)を呼びこむ!
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このフクロウに水をかければいいのかな。
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福徳ふくろうの裏に誰かがいます。
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二宮尊徳像。たった今クロウを水で流したばかりですが…クロウも大事ですよね笑
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社殿と参集殿。
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こんな高台に駐車場があるんですね。徒歩なので関係ありませんがちょっと見てみます。
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賽乃神。
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「伝説」源義経北方コース「源治囲内」案内板…『悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は兄の頼朝に追われ文治5年(1189年)4月平泉の高館において31歳の若さで自害したといわれている。短く華麗だったその生涯を想い、後世の人々は「義経はその前年にひそかに平泉を脱出し、北をめざして旅にでた」という伝説を作りあげたのである。世に言う「判官びいき」であろう。海路を舟でやってきた義経一行は、八戸の浦へ上陸し、白銀の村に一時仮住居を定めることにした。この白銀あたりに残る「源治囲内」という地名は「源氏の屋敷」との意味だったといわれ義経一行が館越に居を移す前に法官氏の世話で住んでいたところであるという。法官という姓は、義経が一行に世話を焼いてくれた者に「今後、判官と名乗るがよい」と申し渡したが、判官と名乗るのは差し障りがあるというので、法官と改姓したといわれている。公益社団法人八戸観光コンベンション協会』
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駐車場からの眺望。
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福昌寺が見えました。
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駐車場の片隅に錆びた錨がありました。
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八戸港船舶給水の地…『ここは、昭和23年、八戸港船舶給水のため三島神社境内の一部を譲り受け、山上配水池を建設した場所で、標高は17,305mです。昭和38年には、浜通り高台地区への給水を目的に三島上ポンプ場が建設され、地下に52メートルの井戸を掘削し、標高85mの鉄砲平配水池に送水しました。階上岳に源を発する「三島の湧水」は上水道水源として、浜通りの「水くみ作業」を解消し、そして、八戸港の船舶給水として、八戸市民の生活と産業、経済の発展を担ってきました。昭和41年3月三島上ポンプ場は、三島下ポンプ場の整備に伴いその役割を譲り、取水停止後は、水道メータの検査室や東部応急給水資材センターとしても運用され水道事業を支えて来ました。今、それらの役目を終えた三島上ポンプの足跡を思うとともに、今後の水道事業の発展を期し、記念碑を建立して後世に永く伝えるものです。平成25年7月八戸圏域水道企業団企業長小林眞』
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社殿前に戻ります。
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御祭神は市杵島姫命・多岐理毘売命・多岐都比売命の宗像三女神です。例祭日は7月7日。旧郷社。
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嘉永2年の神職宅の火災により資料等焼失し創立年代不詳。口伝によりますと、大同2年(807)南都中納言藤原諸江卿故あって奥州に配せられ、転一転当地にとどまり名を五郎兵衛と改め漁師となりました。出漁の際に海中より三面の神鏡を獲、これを祀りしより漁に恵まれ、住民共々一小宇を建立。
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24.5
後に、根城南部五世政長を招きます。出陣にあたり三嶋明神に戦勝を祈願。祈願成就により代々南部家の御信仰篤く、八世政光公、南北朝合体の際、足利氏に属するを潔とせず国替えとなり、元中9年(1391)、一門新田左馬助政持と共に糠部へ下向の節、本国甲州の城中に祀りし大山津見命を勧請合祀し、以来毎年正月25日に御参拝。八戸南部家に於ても尊崇篤く、二代直政公が漁神として崇敬し延宝7年(1679)(※天和元年とも)御本殿建立。三代通信公が元禄年間に鞘殿兼拝殿を建立。明治17年鞘殿及び拝殿を氏子にて造営。現社殿(鞘殿・幣殿・祝詞殿・拝殿)は氏子により昭和16年7月8日起工、昭和17年7月7日落成。延宝7年の御本殿は現存。昭和34年皇太子殿下の御成婚を祝し、更に漁業八戸の隆盛を祈念し、氏子崇敬者一同神輿奉納をはかり昭和35年7月7日奉納。昭和36年の白銀大火の火災復興事業により車道建設。
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三間社。
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拝殿前石灯籠二対。
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27.5
内古い方の灯籠一対は昭和14年7月7日支那事變二週年記念日建立。
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28.5
殉國碑(日本郷友連盟会長後宮淳謹書)。
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裏面碑文…『人類の福祉と世界平和確立のため日清日露の両戦役、満州支那の両事変及び大東亜戦に、国の礎となられた戦友の御霊を慰め殉国の精神を、永久に伝えんとして、之を建立す。昭和38年8月15日白銀郷友会』
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三峰館寛兆句碑「夜網引く浦より出たり夏の月」寛兆(宮司島浦千晴書)。
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句碑建立者は俳人田名部清一(柊一)。平成15年7月1日建立。
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社殿横の末社。小祠は子藥師神社で神鏡や石が祀られているのが見えました。
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子藥師神社の横に稲荷大明神。紀年銘は注連縄で見えませんが、昭和年間の旧3月6日建立です。南山書。
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その横に金毘羅大権現。紀年銘は読み取れそうで読み取れず。
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更に出羽三山。紀年銘は文久3癸亥年3月8日
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巳神もしくは巳ノ神。
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金毘羅宮。
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稲荷宮。
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こちらは…
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八大龍王かな。自信ありません。
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その他稲荷の狐様等。
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神楽石。
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神楽石について…『まず御神前にて祈願をします。次に両手で神楽石を持ち、自分が予想していたよりも軽く感ずれば願いが叶い、重ければ叶わないとする試し石です。一般には、「おもかる石」といわれています。※あぶないので、小さいお子さんは持ってはいけません。』
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神楽殿。
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三嶋神社沿革碑(沿革の内容は上記と同じであるため省略。神輿奉納時の記念碑で裏面は神輿奉納奉讃者芳名。昭和35年10月吉日)。
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三嶋七福神石像。平成16年8月完成。
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大黒天・毘沙門天・辨財天・恵比寿・福禄壽・壽老人・布袋。
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48.1
48.2
48.3
48.4
48.5
48.6
参集殿。203坪。平成11年3月建立。大きいです。
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参集殿建設資金境内整備資金寄付者御芳名碑(平成14年7月7日)。
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車祓所。
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おみくじ舎。
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七福ロウ。
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53.5
御朱印もありました。
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