くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

東北地方の神社仏閣を中心に、歴史的建造物等々を適当に紹介しております٩(ˊᗜˋ*)و

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私は日光二荒山神社日光山輪王寺大猷院の間にある道から徒歩で瀧尾神社へと向かい、帰りは「史跡探勝路神橋~滝尾神社」(日光東照宮社務所方面)を通って日光東照宮美術館に寄り、勝道上人尊像前まで戻りました。もちろん逆コースもありです。
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往路は行者堂などはありますが基本的には山道です。道はきちんと整備されており、周囲は巨木に囲まれ、歴史を肌で感じることのできる気持ちのいい散策路です。日本人より圧倒的に外国人が多かったです。きちんと下調べしてきている外国人が歩く経路の方が意外に玄人好みのコースだったりしてね。
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空烟地蔵。
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空烟地蔵…『勝道上人が、男体山に登ろうとして道を探していた時、地蔵尊が現れて導いたといわれる場所。その800年後、延宝年間(1675年頃)家光の忠臣、老中阿部豊後守忠秋の墓を家光の霊廟の一角に造った際、上人の伝えを聞いた阿部家が、石像と常夜灯を造立した。忠秋の墓は、この地蔵と背中合わせの大猷院内にあるが、忠秋が空烟と号したので、空烟地蔵と呼ばれる。』
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石段。
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石畳。
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巨木ばかりで麻痺しますが、両側に立ち並ぶ木もかなり立派なものです。
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時々このように石碑がありますが自然を満喫して歩いていたのできちんと見ていません。ちなみに写真の石碑には「五十間施主…」と彫られていますね。参道石畳かな。
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自然を楽しんでいれば石碑には目がいかなくても、こういう方には目がいきますね。
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ヤマカガシ?蛇にはしょっちゅう出会うのですが詳しくありません。
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山径を登りつめたところに現れるのは日光山輪王寺行者堂。栃木県指定有形文化財(昭和50年1月28日)。杉の巨木が出迎えてくれます。
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行者堂…『本尊は奈良時代の山岳呪術者、修験道の祖、役小角、役行者が非常に健脚であったので、足が丈夫になるようにとの信仰があり、草鞋の奉納が多い。ここは女峰山へ向かう登山口で、峰修行の行者の拝所でもあった。堂の創立年代は不明であるが、天正13年(1585)に再建したという記録がある。現在の堂は、平成2年に改築され、同4年に彩色を新たにした役小角の木像と前鬼、後鬼が祀られた。』
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虚空菩薩などの梵字が刻まれた石塔(享保14年4月)。
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廃仏毀釈を感じさせる石仏。
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行者堂石段。
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行者堂。石垣の上に建っています。
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輪王寺行者堂…『輪王寺行者堂は、修験者の修行場として建てられた切妻造りの簡素な建造物である。当堂の創建は平安時代、山嶽信仰の盛んな頃と思われるが、現在の建物は輪王寺明細帳によると天正3年(1575)桜本坊宗安再興と伝えられている。その後幾度か修理を経て今日に至っている。正面の一間は土間で、二間目から一段高くなっており、奥の一間に壇を設けて、役小角と侍鬼二体を配している。栃木県教育委員会・日光市教育委員会』※上記案内板と再建年に10年の差が見られます。
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「行者堂」(篆書体)。
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行者堂内。
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石燈籠。
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狛犬一対。享和3年12月。
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22.5
狛犬は腹下の部分に紀年銘等が刻まれています。
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23.5
行者堂裏手は女峰・赤薙山への登山口になっています。
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行者堂から瀧尾神社に向かいます。
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ここからは瀧尾神社参道までは下り坂。瀧尾神社の参道途中に合流します。
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私が歩いた軌跡的には『瀧尾神社(日光市)』へ続く。
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日光二社一寺関連記事
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日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)』からの続きです。良い縁狛犬の先は神苑。拝殿の左手奥にある本社境内。有料でしたが、美肌の御利益があるとされる二荒霊泉があるので致し方ありません。
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末社の日枝神社。御祭神は大山咋神で峰入行者の守り神。山の神様・健康の神様です。社殿を一周して鈴を鳴らしてお参りすれば足腰や健康に御利益があります。国指定重要文化財。
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嘉祥元年(848)創建、慶安年間再建。一間社、入母屋、妻入、銅瓦葺。
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幸運招き桜。後ろに萬度(針石町・江戸時代)。萬度は万灯ともいい、あんどんの一種。家体といっしょに、弥生祭に灯してかつがれたもの。
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高野槙。
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樹齢約千年。伝弘法大師御手植。
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神輿舎。
8.5
素木入母屋造。元和3年に東照宮の仮殿拝殿として造営されたもので、日光山においては最古の建造物とも云われる貴重な建造物。入母屋、銅瓦葺、平入、素地造。国指定重要文化財。
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神輿舎の正面右側側面の縁の上には「運試しの輪投げ」がありますが、中々盛り上がっている団体が居座っており、運試しできませんでした。3つの輪を投げて運気を占う輪投げです。他にも良縁を占うお菓子占いなどがあります。
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弥生祭に使われる神輿三基があり、本来ならば3基とも正面から見れるようになっているようですが、蔀度が破損しており左右の神輿は見え辛くなっていました。
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10.5
唐銅燈籠。正應5年3月1日奉納。唐銅製春日造。国指定重要文化財。俗称化灯籠。夜になってからこの灯籠に火を入れるとすぐに燃料の油が尽きて火が消えてしまい、何度やっても同じ結果となるそうです。また、灯籠を灯すと周りのものが2重に見えたり、灯籠そのものが様々な姿に変化したともいわれます。警固の武士たちはこれを怪しみ、毎晩のように刀で斬りつけた末、灯籠は通常通り機能するようになったと伝えます。現在でも灯籠の受け皿には無数の刀傷が残されています。化け灯籠の怪異の正体は、暗闇の中で灯籠の火が風に揺らめく姿が不気味に見えたため、もしくは灯籠の油をモモンガやムササビが嘗めに来たものとの説がありますが真相は不明。
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拝殿と本殿の間(渡殿)から参拝。
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神様に一番近い参拝所になります。
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残念ながら本殿は修理中でしたが。
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この記事がアップされる頃には修理が終わってますね。
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神様に一番近い参拝所からは天保3年5月奉納の狛犬も見えますが、近寄れないため、ほぼこの角度でしか見ることができません。しかも吽形のみです。
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大国殿。延享2年建立。宝形造、檜皮葺、桁行3間、梁間3間。国指定重要文化財。
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御祭神大国主命。
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大黒殿内。日本で唯一、手で福を招く大国様を祀っています。絵の前に置かれた金の小槌を振って願い事を祈願します。
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天井も鮮やかですね。
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内部には大黒様にまつわる資料や絵が展示されています。写真は「宝刀大太刀太郎丸」(栃木県文化財)。「福を呼ぶ・幸運を呼ぶ!開運大太刀」と紹介されていました。南北朝時代(14世紀)の作。総長260.5cm・刃長179.2cm・茎長81.3cm・重さ7.2kg。
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大黒殿前にある大国田道間守。お菓子の神様。田道間守(多遅摩毛理)の神話については省略。平成16年4月建立。
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円石。人の心の角を取って丸くしてくれるといわれ、撫でれば長寿祈願となります。
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「人の心も丸く 角たてず おだやかに生きれば 自然に 人は幸せになれます」とあります。
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見学スペースがあり、修理中の御本殿を2階から拝観できるようになっていました。
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本社境内第一の巨杉(御神木)。樹齢約700年、太さ6.35m、高さ約60m。杉の横の鳥居の先には縁結の笹や子授け・安産の石があります。縁結びの笹はあらゆる良い縁を結ぶという笹で、良い縁結び札に願いを書き、結び所に結んで祈願します。
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朋友神社。「みともじんじゃ」と読みます。一間社流造、檜皮葺。創建不明。元は十八王子と呼ばれていたもので、庇の蟇股ほか一部旧材を再利用して宝暦9年再建。国指定重要文化財。
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御祭神は少名彦名命。例祭日5月15日。学問・知恵の神。
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智恵カエル。カエルを撫でて知恵を授かりますようにお祈りしてください。
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日光銭洗所。浄化のほか、再生や幸運をもたらすといわれています。お金を入れるお守り袋もあります。
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弁財天。
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御神木胎内くぐり。樹齢550年の御神木です。
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神話の絆杉。宮崎県の高千穂神社の樹齢800年の御神木の枝を挿し木して育てたもので、九州の在来品種「メアサ」と言われます。
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35.5
神話の絆杉の横に高天原。
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36.5
高天原。例祭(弥生祭)の前日4月16日午前9時半、滝尾神社の姫神の神輿を本社・本宮の主神と御子神の神輿が迎え、この場所で三神輿出会いの儀式である高天原神事が行われます。その儀、八乙女(巫女)が三神輿にそれぞれ神酒を捧げ、古く伝わる「御前神楽」を奏して神々を称えます。
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注連縄で囲まれたエリア内は神聖な場所(禁足地)なので立ち入ってはいけません。縄の中に手をかざしたり、深呼吸をすることでパワーを取り入れましょう。
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二荒霊泉へ。眼病に効くという御本殿裏の恒霊山に湧く「薬師の霊泉」と滝尾神社の「酒の泉」の水脈が合わさった霊泉。水を汲んで持ち帰ることもでき、専用のペットボトルも販売されています。霊泉の隣にある茶屋「あずまや」では霊泉を使った抹茶やコーヒーを楽しめます。
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二荒霊泉…『霊峰二荒山(男体山)はじめ日光山八峰の奉拝に起因する当社の境内には、古くから二つの霊水が湧出している。その一つは老杉に囲まれた本社背後の恒霊山中の洞窟からほとばしる「薬師の霊水」で眼疾に霊験ありと伝えられる名水。もう一つは恒霊山につづく別宮滝尾社の清流天狗沢のほとりに湧く「酒の泉」で、酒家の尊崇をあつめる霊泉である。この二つの貴重な真清水を本社境内西神苑のこの地に導き「二荒霊泉」と名づけた泉を築いて拝載に便することとした。老杉の聖域で御霊水をいただき二荒山大神の広大深重なるご神徳をお受けください。(ご霊水の水質は、無色透明、水温12度、菌類0、硬度26.68で飲料に適する)昭和46年10月吉日二荒山神社』
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智恵の水・酒の泉・若水。知恵がつき、眼病に効き、若返る!
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清水比庵歌碑。
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清水比庵歌碑一…『「春風の二荒のやまはおほらかに雲井にそびえ、またはかくるる」喜寿清水比庵。清水比庵は、本名秀。明治16年岡山県生まれ。昭和5年、日光町長、昭和33年、初の日光市名誉市民。短歌の会「二荒」「窓日」を主宰。歌人であり書家・画家でもある。昭和50年10月、93歳で死去。碑は、当初旧日光公会堂前に建てられたが、後現在地に移転。昭和34年春、日光市名誉市民に推戴されたことを記念して、清水比庵先生歌碑建設委員会が建立。日光文学碑散策路 昭和61年設定 日光市』
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若子神社(境内摂社寂光滝鎮座)遥拝所。御祭神は下照姫命。例祭日は10月30日。
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若子神社(日光二荒山神社摂社)…『御祭神:下照姫命。例祭日:毎年10月30日。信仰:和歌の祖・芸能上達・悪疫退散』
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日光連山遥拝所へ。
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日光連山遥拝所。
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石を使ってミニチュア風に再現されているようです。
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48.5
ピカピカに輝いているのは良い縁の剣。男体山の頂上にある剣のレプリカ。長さは2.486m(男体山の標高の1,000分の1)で、重さは約100kgです。剣には邪悪なものを切り祓う霊力があると昔から言われています。この剣は真の誠を授け、良い縁を導くシンボルとして、製作奉納されました。太陽の光が剣に反射したところをカメラに撮れれば良い事が起きるそうです。また、剣の裏側に立って、剣に映る己の顔をカメラにおさめると良い縁に恵まれるそうです。2人で撮ればいつまでも一緒!毎月1日・11日は良い縁剣の日。
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願い事を書いた木のハート絵馬を投げて、ご縁柱に届けば良い縁を授かる良縁ハート投げ。
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50.5
私が歩いた軌跡的には『空烟地蔵・日光山輪王寺行者堂』へ続く。
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日光二社一寺関連記事
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日光東照宮(Nikko Toshogu Shrine)Part1』で書きましたが、日光東照宮拝観受付所の横に上新道があります。上新道は二荒山神社入口の楼門へと続く道です。距離は約200m。
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下新道は上新道と同様に日光東照宮と日光二荒山神社を結ぶ道で、約300mほどの杉並木の道です。こちらから向かった場合は二荒山神社大鳥居前に着きます。
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案内板。似たような案内板が他にもあるのでここでは省略。
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式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。正式名称は「二荒山神社」。宇都宮市の二荒山神社(宇都宮二荒山神社)と区別するために「日光二荒山神社」と称されています。古くは「日光三社権現」と称されていました。日光連山の主峰日光三山を神体山として祀る神社で、境内は本社(本社・別宮本宮神社・別宮滝尾神社・別宮本宮神社・別宮滝尾神社)・中宮祠・奥宮(男体山山頂)からなります。日光三山は男体山(古名:二荒山)・女峰山・太郎山からなり、二荒山神社ではそれぞれに神をあてて祀っています。三山のほか日光連山(奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山)を境内地としており、その面積は3,400haにも及び、神域には華厳滝やいろは坂も含まれています。3,400haは神宮に次ぐ面積。二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬され、江戸時代に幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営されました。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されています。
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社名の「二荒山」の由来には補陀洛山説(観音菩薩が住むとされる「補陀洛山」が訛ったものといわれ、後に弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読んだことから「日光」の字を当ててこの地の名前にしたとする説。※但し空海の来訪は伝承の域を出ません。)・男体山女峰山2神の二神二現説・暴風雨説・アイヌ語説(熊笹=フトラ)など諸説あります。※男体山山頂遺跡の出土品から、鎌倉時代初期には「二荒」と「日光」が併用されていたことがわかっています。
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縁結びの御神木。杉と楢の木が合体した御神木で、「好き(杉)なら(楢)一緒」として、縁結びの御神木として知られるようになりました。
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神門。勝道上人の男体山登頂1200年を記念して昭和57年に造営(奥宮建立記念事業)。神門向かって左に親子杉、右に夫婦杉。家庭円満・夫婦円満などを祈願。
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手水舎。
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良い縁の笹。茅の輪くぐりと同じ方法です。縁結びの神社としても知られています。
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御神木の三本杉。
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手水舎と親子杉。
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日光二荒山神社の御祭神は大己貴命(大国主命、神奈備:男体山、本地仏:千手観音)・田心姫命(神奈備:女峯山、本地仏:阿弥陀如来)・味耜高彦根命(神奈備:太郎山、本地仏:馬頭観音)。三神を総称して二荒山大神といいます。
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霊場としての日光の始まりは、下野国の僧勝道上人が修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされます。二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされます。この祠は現在の別宮となっている本宮神社であり、元は本宮神社の地に鎮座していました。上人は延暦元年(782)に二荒山登頂に成功し、そこに奥宮を建てて二荒山修験道の基礎を築き、その後、神仏習合の霊場として栄えることとなります。なお、社伝上は勝道上人が開祖とされますが、実際には太郎山神社周辺で古代の祭祀の痕跡を示す遺跡が見つかっており、相当古くから聖地として信仰対象であったことがわかっているようです。延暦3年(784)に参拝困難な事から男体山麓に二荒山神社中宮祠を建立。弘仁11年(820)には空海が女峰山の御祭神である田心姫命を勧請して滝尾権現を建立して遥拝所とします。嘉祥元年(848)には慈覚大師が日枝神社を滝尾権現境内に勧請(後の新宮)。その後、現在の本社の境内付近に二荒山神社を遷座し、本宮には太郎山の御祭神である味耜高彦根命を勧請したことで、日光三山である男体山、女峯山、太郎山の御祭神、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命をそれぞれ祀る二荒山神社本社、滝尾神社、本宮神社の日光三所が確立。12世紀には神仏習合の形態が更に強まって本地である千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が当てられます。
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延喜式神名帳に記載されている名神大社(延喜式神名帳に記載されている二荒山神社は現在の宇都宮市に鎮座する二荒山神社とする説が有力)で下野国一之宮、関東総鎮守として広く信仰され、鎌倉時代に入ると幕府、室町時代に入ると小田原北条氏から厚い崇敬を受けます。戦国時代には後北条氏に加担したことにより、豊臣秀吉と対立し北条氏が滅ぶと社領が認められないなどの弾圧を受けて一時衰退。江戸時代に入って日光の地に徳川家康が祀られることになると幕府から崇敬されるようになり、社領の寄進や社殿の造営などが行われて社運が隆盛。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され二荒山神社本社となり、別宮として滝尾神社と本宮神社という形態が確立。明治6年には宇都宮の二荒山神社に加えて国幣中社に追加列格。
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拝殿は元和5年造営、正保2年再建。入母屋造。桁行5間、梁間4間。国指定重要文化財。拝殿内に狛犬一対。元和3年の東照宮造営の際に現在地に移転し、元和5年に秀忠公により本殿再建。本殿は単層入母屋(正面千鳥破風付)、銅瓦葺(元檜皮葺)、軒唐破風向拝付。桁行5間、梁間5間、向拝部3間。安土桃山様式の八棟造りを採用した神社本殿建築の遺構として貴重であり、周囲に付随する唐門・掖門・透塀・鳥居と共に国指定重要文化財。
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案内板「関東総鎮守 下野国一之宮 日光二荒山神社」より…『当神社は関東第一の霊峯男体山(二荒山)を始め八峯の二荒山の大神と崇めて奉拝し、神護景雲年間社殿を造営し、奉祀して以来1200年余の由緒をもつ延喜式名神大社である。男体山頂標高2,486米に奥の宮、中禅寺湖畔に中宮祠、そしてこの山内の神域に本社が鎮座する。【御祭神】二荒山大神・大巳貴命(大国主命)・田心姫命・味耜高彦根命【御神徳】国土経営・産業開発・凡ての産業を司られ福の神と称えられ、農業・婚姻(縁結び)・醸造・学業(医薬健康)の祖神として守り幸え給う。(これより神苑内)【御社殿(重要文化財)】本殿・拝殿・日枝社・朋友社・神輿舎・大国殿・銅燈篭(化燈篭)銅製春日造・二荒霊泉、霊水拝戴・別宮 滝尾神社(霊石安産子種石・酒の泉)本宮神社【祭典】例祭(弥生祭)4月13日~17日本社
・男体登拝大祭7月31日~8月8日中宮祠』
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社務所。
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こちらは上新道から来た場合にくぐる楼門と社号標。上記神門と同じく勝道上人の男体山登頂1200年を記念して造営。
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楼門脇に麻掛け大黒様。魔を除け、邪を祓い、身を清める「麻」を肩に掛けて、遥かな未来を見つめる大黒様です。麻に触れて身を清めます。麻は栃木県鹿沼市永野で生産された麻。更に大黒様に触れて清らかな気持ちでお参りくださいとのこと。多く触れれた場所はテカテカしております。
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楼門脇にうさぎ石というものもありました。ちょっと離れて矢印の方向から見るとうさぎに見えるそうです
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日本神話(古事記)因幡の白兎の案内板もありました。有名な話なので内容は省略します。とかいって、数年前に神社の勉強をするため古事記を読むまでは、ただの絵本もしくは日本昔ばなしの一話としか思っていませんでしたけどね。
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楼門の先の唐銅鳥居。柱に神仏習合の名残をとどめる蓮の花が付いているのが特徴です。
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唐銅鳥居について。
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神楽殿。明治17年建立。重層入母屋造。毎年4月2日国家の興隆を祈願して神楽が奉奏されます。
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大きな金の大黒様がおりました。
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良い縁狛犬一対。台座にはそれぞれ「良」「縁」と刻まれています。平成27年12月の奉納とありますが、製作されたのはそれよりも16年前。あまりの大きさに引き取り手が見つからず、眠ったままになっていたそうです。
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良い縁狛犬…『狛犬は、獅子や犬に似た想像上の生き物とされています。起源は、古代エジプト・メソポタミアでの神殿を守るライオン像とされています。中国を経て飛鳥時代に日本に伝わった当初は、獅子であり、左右の姿に差異はなく、開口した姿であったと言われます。平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ、獅子と狛犬の阿吽の開口閉口の像が対で置かれるようになりました。現在では、両者を合わせて狛犬と呼ぶようになっております。この狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、台座は日本三大銘石と言われる茨城県産の青糠目石です。左右の「良」「縁」の文字枠は八稜鏡を象ったものです。全国神社でも他にない、大変珍しい狛犬です。栃木県さくら市在住の飯沼休吾氏により、世界文化遺産登録15周年を記念して、平成27年12月に奉納されました。ここに、あらゆる良い縁を願い「良い縁狛犬」と名付けました。良い縁の神様日光二荒山神社』
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29.5
日光二社一寺関連記事
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