くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

東北地方の神社仏閣を中心に、歴史的建造物等々を適当に紹介しております٩(ˊᗜˋ*)و

厳密に言えば吉野町の坂で、山道町方面へと上がる坂ですが、山道町の坂と言った方がしっくりきます。坂そのものよりも、周りの情景や坂上の丁字路が実に趣深い坂道です。
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寛文13年の弘前中惣屋敷絵図に土手町から山道とあり、これに由来している地名です。
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江戸期は侍町。坂道付近は古地図には存在しませんでした。
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まだ銀座街も今ほど廃れていない頃は山道町もとても賑やかでしたよね。
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坂上の片隅に僅か一段の階段(笑)
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さて、坂上は土手町もしくは住吉町へ行く丁字路となります。
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その丁字路正面には明治33年(1900)に建てられた日本聖公会弘前昇天教会が鎮座しております。
明治29年に弘前に聖公堂が市内各所に講義所を設けました。ここは山道町聖堂と称し、明治36年には伝道目的を兼ねた裁縫塾、さらに大正14年に女学院へと変化。女学院が昭和5年に廃止されて明星保育園になり、大正10年以降に弘前昇天教会と称するに至りました。
現在の教会堂は当時の司祭であったニコルス師のもとで改築され、設計は立教大学校校長を退任し建築家として日本各地の聖公会教会堂を設計していたアメリカ人建築家ジェームズ・ガーディナーが手がけ、施工は本人もクリスチャンだった林緑といわれています。
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大正9年(1920)に改築された聖堂の煉瓦が坂道情緒を見事に彩ります。
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また朝夕の祈りの時間には三葉飾りのアーチの鐘が清澄な音で時を知らせてくれます。
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丁字路を右へ行けば旧福島酒造(吉井酒造煉瓦倉庫)裏手の小路が昔と変わらぬ姿で残っており、住吉神社へと繋がります。
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丁字路を左へと行けば正面に明治22年(1889)開業の一戸時計店の時計台が見事なまでに正面に姿を現します。
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坂下にはルネスや中央弘前駅があります。
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昭和52年の洪水時の山道町(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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中央弘前駅がまたノスタルジックな雰囲気で素晴らしいです。
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ちなみに中央弘前駅は「桜の名所・弘前公園に近くホーム向いの土淵川からの涼風が心地よい、夏に優しい駅」として、2002年(平成14年)東北の駅百選に選定されています。
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中腹には喫茶人魚姫など。
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坂下の橋手前で大きく湾曲。
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平行する境橋と境歩道橋。
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境歩道橋が真っ直ぐな橋なのに対して、境橋は片側だけ大きく湾曲します。
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橋からはマジンガーZの頭も望めます。
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夜になるとまた違った表情を見せてくれます。
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百沢街道は、岩木山(いわきやま)神社へ参詣する信仰の道。山道なので勾配のある街道です。
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遊歩道も整備され、お山参詣に利用されています。
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この県道は、各集落の中を通る生活道路だったため、集落内を回避して走れるようバイパスがつくられました。
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松並木の植栽は藩政時代には方々で行われていましたが、百沢及び高岡街道の植栽は、樹齢から推定すれば約300年以上前と考えられます。記録では、「要記秘鑑」の文化6年(1809)の条に植栽と松並木育成策についての記述も見られ、藩による手厚い保護がうかがわれます。
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藩政時代から百沢寺(現岩木山神社)の参道となっています。
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藩政時代に植栽された大変貴重な松並木で、種類はアカマツとアイグロマツ。
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百沢街道の松並木は樹高8~18メートル。高岡街道の松並木は樹高8~26メートル。樹齢は150年から300年と推定されています。現存する松は百沢街道に63本、高岡街道に20本。
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観光りんご園、お山参詣歌碑などがあります。
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途中で急な坂がございます。
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急な坂を下り終えると弘前市百沢で、県道30号とアップルロードと交差します。
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菅江真澄が大浦城より、御台(五代)、老母橋(馬子橋)、山崎の諏訪神社、兼平…そして百沢寺を目指す過程に次のような記述があります。
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「南に羽黒の神をまつり、山の北に八幡山が眺められ、新法師という村がある。山のふもとにも、もと、しんぼっしという部落があり、また宮地というところがあるのは、遠いむかしに何とかいう宮がそこにさすらい来られて、世をいとい、出家されて、新発智となられたゆかりの地名であるそうだが、いまは文字を書きたがえている。ごだいというところは、その御台があったともいう。百沢寺を造営するというときに、坊をかりにつくり、そののちに、いまの寺のあたりにうつしたとかで、それで新坊地の名がのこったとも伝えている。左に松ばかりがふかく茂っているなかに、高岡の宮があるという。こうして坂をくだってくると百沢の村である。救聞持法を行なう寺があり、虚空蔵菩薩をすえて、救聞寺という。」
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大館市街より北へ15km、国道7号沿いに長走風穴高山植物群落(標高170~240m)があります。
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ここの風穴は、国見山から崩落した岩石が堆積してできた累石型風穴で、石の間から冷気が吹き出しています。
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真夏に外気温度が30度前後であっても5~6度の冷気が吹き出すため周辺の植生とは異なり、標高1000m付近と同様の高山植物が育成しております。
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風穴館入り口には風穴倉庫があり、風穴をどのように利用していたかを見ることができます。風穴倉庫は風穴現象を利用した倉庫で、冷蔵庫や保冷庫のような使われ方をしていました。昔は7個ほどの風穴倉庫を主に農作物の保管に利用。
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風穴倉庫から風穴館に通じる廊下「風の回廊」では風の不思議が体験できます。
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風穴館一階には、風穴の冷気が吹き出る石の壁や、風穴の仕組みと利用、長走周辺の歴史、市の天然記念物などを紹介するパネルコーナーがあります。
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中2階には、風穴の四季や高山植物が生育する原因などを、大型画面でわかりやすく説明してくれるミニシアターがあります。2階には冷風を利用した高山植物が展示され屋外広場へと渡り廊下が続いております。
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なぜ風穴現象が起こるのか、四つほどの説がありいまだに定説がありません。
ここの風穴については『崩落した岩石が堆積してできた風穴のため、内部に無数の隙間があり、冬のあいだ山の下から上に冷たい外気が送り込まれ氷を作り、夏に冷えた空気が下に流れ出ている』という説が有望です。
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上まで行こうと思ったんですが…
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この看板が怖すぎて途中までしか行けませんでした(笑)
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中止とか言われるとリアル過ぎます…。
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さて、風穴から大館方面へ向かうと男神山(340.7m)&女神山(281m)が現れます。
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男神山(340.7m)
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女神山(281m)
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その麓近くには後醍醐天皇の側近藤原藤房が遁世移住した寺といわれる矢立廃寺跡(県史跡)。
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案内看板通りに向かうと、とある養鶏場らしき場所に着きます。そこで番犬2匹に吠えられまくった上に、先の道の草が刈られていなかったのでここも断念(笑)
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また、大館市街から北へ6km、同じく国道7号沿いには芝谷地湿原植物群落があります。国指定天然記念物です。
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